こんにちは、管理人の小林 丸です。3月が目の前になりつつあるだけで、まだまだ寒い日が続くなか春めいてきたかな?と感じます。

お正月とは別に、新年度とか新学期の時期となると、春=新しいスタートという印象は気持ちも高まりますね。

だからというわけで突然、その逆、つまり人生の終焉という場面をあえて考えてみることに。人生の終焉といえばお葬式、お葬式といえば最近、家族葬という言い方をする人が増えているように思います。

家族葬は従来の葬儀と何が違うのか、家族中心の小型の葬儀だから安く済むであろうが本当のところどうなのよと調べてみることに。そもそもお葬式の費用にはどんなものがあるのか?イメージはあるがよくわからないのが本音。分からないことを分からないままにしておくのも心配。我が家にも母が高齢となり他人事ではないのです。

 

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家族葬とは?

「家族葬」とお葬式にわざわざ「家族」をくっつけ出したのはいつ頃でしょう?従来のお葬式とは何が違うのでしょうか?お葬式の流れが違うのか、儀式が違うのか、はたまた新しい何かがあるのか?疑問だらけであります。

お葬式は亡くなった者を家族、親族、関係者で多くの場合は僧侶を招いて行う儀式のことであり、この世からあの世へ魂を送る儀式でもあるくらいはこの歳になればこれくらいは言える。

お葬式の前夜はお通夜であり、葬儀を前後して火葬でお骨にして後に墓地に埋葬するという手順であることもおおよそ把握している。静岡地方は火葬が先で葬儀が後というのが標準パターンですが、葬儀をして火葬というパターンがメージャーであると知人に教えてもらい驚いたことを覚えてる。

なぜ静岡は火葬が先なのかまではよくわからず、なにかの要因で地方の風習になったかと思われる。メジャーの流れ(葬儀⇒出棺⇒家族や親族で火葬⇒精進落とし)の方が精進落としの料理の数など把握しやすいが、後に葬儀となると一般の会葬者も交じってどこからどこまでが精進落としにお招くのか迷いを感じる点はあるかもしれないなんて、葬儀に参列した際に思い出すことがあります。

すると、従来の葬儀も家族葬儀も通夜⇒葬儀⇒火葬⇒精進落としのメジャーの流れはおんなじ。じゃぁ何が違うのかというと、参列する顔ぶれが違うらしい。ようするに、家族葬は家族を中心とした葬送の儀式で、身内が中心だからふだん通りに落ち着いて儀式を行えるというメリットがあるということ。

そもそも亡くなる人が高齢になると、喪主の年齢も高くなり、職場など現役とは違って交流関係も小さくなる。その上に、近所との関係も昔みたいに葬儀とならば町内が集まってお手伝いということもなくなった。そういったお手伝いは葬儀社が行ってくれるからありがたい。その分、葬家は費用がかさむのか気になるところだ。結局、みんなが高齢化して自然的に葬儀が小型化していつの日か家族葬というようになったのでしょう。

葬儀社側からすると、そういうネーミングの方がなにやら安くできるイメージを利用したかのようにも思える。入口は小さく出口は大きくなんてことを期待するんでしょうかね。まぁ企業側の理屈もあるでしょう。

ところで気をつけたい点が、家族葬形式で行うが家族だけの葬儀になって参列を拒否しちゃうかのようにするのはいかがなものか?ということ。まるで密葬のように誰にも知らせず家族だけでいいのだという考え方もちょっとどうかなと思ってしまう。

そういえば、密葬というのは後で本葬とかお別れ会をやるんだそうで、著名人や大きなお葬式をそつなく行うひとつの方法でなんだそうです。お葬式は何かと知らないことばかりです。

 

お葬式の費用は?

考えてみると、従来の葬儀も家族葬も儀式そのものは変わらないのであるから、参列の人数や規模が小さくなったとしても安くなるとは限らないではないか。逆に、お香典収入までもが小さくなるからかえって葬家の負担率は高まるってことになる。安くやりたいから家族葬でというのは間違いと言えるので注意しましょう!

儀式の費用は避けて通れないとならば、それ以外にどんな費用が掛かるのか?

素人ながらも考えてみると、火葬に必要な火葬料なんかの費用。精進落としのおもてなしに掛かる費用。それから、タクシーや送迎バスなどの手配に、葬儀場の使用料、そうだドライアイスなんてのもある。棺や骨壺なんてのはどんな儀式スタイルでも必要不可欠だから儀式費用になるのか!?

すると、お葬式費用=儀式費用+その他の費用となる。

なるほど、家族葬のように規模が小さくなると儀式以外の「その他」の費用負担が軽くなるというわけらしい。なのでくどいようですが、その分の出費が軽くなる分、お香典の収入も小さくなるから家族葬の方が負担が楽とは安易にいかないカラクリがあるようですね。

そうそう、僧侶へのお礼(お布施)を忘れるところでした。こちらも現金精算となるだけに、お葬式は現金も必要であることも忘れてはなりません。病院などに掛かる費用、葬儀後の法要や相続関連、後処理の費用なども考えるとお葬式だけではすみません。

そういえば、お葬式はやらない火葬だけとか、お通夜は家族だけで済ませるという形式もあるようで、葬送の儀式も時代とともにどんどん変わっていくようであります。寺院とのお付き合いや墓地の問題も考えさせられるようです。

 

あるべきお葬式とは?

友人が父親を亡くされた時故人はお葬式はしなくていいと遺言を残し、それが逆に負担となって困ったと聞いたことがあった。本人は死んでしまうので葬儀はいらないと言っても、葬儀を出す側はご近所との関係や仕事先の関係者、故人がお世話になった方々への告知と謝意を本人の意思だけで決めてしまっていいものかと悩んだらしい。

結局その時には、葬儀社の担当者に相談して、喪主をはじめ家族や親族の意見、立場を考慮して地味ではあるが僧侶にお願いしてお葬式をおこなったが、儀式を省略してしまったら後で後悔をしたかもしれないと言っていたっけ。

そういう気持ちの問題も大きいんですね。専門家のお話しでは、家族の死別が人生で一番ストレスがかかるんだとか。泣いてサヨナラですまされない人の心のつながりの不思議。なぜお葬式が必要なのか、何のためなのかはこの辺にその理由があるような気がします。

前回のブログで、「何」からではなく「なぜ」から考えようという内容の記事をアップしたばかりの、お葬式もそうかもしれないとつくづく思うようになった。というのも、どんな祭壇でどのように行うかの前に、故人との思いを考えつつ、お世話になった親族他皆さんへ伝えるべきことがあるはずと、その意味から考えることが大事のように思います。

いかがでしょうか?

 

今回のまとめ

先日、妻の友人のご主人が突然倒れてそのままあの世という悲しい出来事がありました。まだ若いのはもちろん、急なことでお葬式も大変多くの参列者であったとか。帰ってきた妻は、目を赤くしながら「人は死んじゃうんだね」と、あたり前のような意味深なことを言っていた。

人が死んじゃうってなんだろう?

すぐには結論が出ませんが、生きていることに集中するしかないのかと思ったりもします。

「人生100年の時代」なんて耳にする機会が増えてくると、人の死のもつ意味や価値までもきっと変わってくるでしょう。どのように変化をしても、その本質は変わらないはずと分かったような不思議な気持ちでブログ更新としました。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

 

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