勢古 浩爾 (著) , 『ただ生きる』のタイトルに目が留まりました。その時、ポジティブではなくネガティブに、「”ただ生きる”って言われてもねぇ」と、正直そう思ったのです。だって“ただ生きる”なんて、そんなの当たり前じゃないかと思う。けれど、勢古浩爾さんの本を読み進めていくうちに、だんだんと分かってきた。どうやら“ただ生きる”って、実はかなり難しいことらしいのだ。何かを達成しなきゃ、結果を出さなきゃと焦るこの時代に、「何もしなくてもいい」「それで十分」と言われると、なんだか拍子抜けする。でもその拍子抜けの中に、どうやら生きることの本質が隠れているようだ。エッセイ風によせながら、ご紹介します。

生きるって、そんなに頑張らなくてもいいらしい

「生きるって、頑張ることだ」と、
信じて疑わなかった。

朝から晩まで仕事して、家のことして、
SNSでちょっと気を使って。

そうして一日を終えると、
「今日もなんとか生き延びたな」と思う。

 

でも、勢古さんは、
そんな私たちに静かに言う。

「いや、そんなに頑張らなくても、
もう生きてるだけで十分なんですよ」と。

 

…うん、分かるけど、
それが難しいんだってば。

“頑張るのをやめる努力”って、
意外と高度な技術だ。

けれど本を読み進めるうちに、
少しずつ腑に落ちてくる。

 

生きることに“意味”や“成果”を求めすぎると、
人生がどんどん窮屈になる。

生きること自体を目標にしてもいいんだ。

何者かにならなくても、
誰かに認められなくても、
生きてる時点でクリアしてる。

 

生きるって、
もっと“ゆるく”ていいのかもしれない。

他人の目はカメラよりも怖い

人の目が気になる。

どう思われてるか、評価されてるか、
ちゃんと見せなきゃって思う。

 

でも、勢古さんは言う。

「他人はそんなにあなたを見ていませんよ」と。

……え?

じゃあ私のこの努力、
どこへ? と一瞬むなしくなる。

 

でも、考えてみればその通りだ。

私も他人のことなんて、
5分もすれば忘れる。

なのに自分のことになると、
「あのときの言い方まずかったかな」、
「SNSの投稿ちょっと痛かったかな」って、
3日くらい気にしてる。

 

完全に時間の無駄。

 

他人の視線に振り回されて生きると、
自分がどんどん透明になっていく。

他人にどう見られるかより、
自分がどう感じているか。

それを優先していい。

 

だって他人は、
あなたの人生の監督でも、
審判でもないのだから。

幸せは“でかいイベント”じゃなくて、“ちょっとしたツボ”

「幸せって何?」と聞かれると、
すぐ“大きな何か”を思い浮かべてしまう。

宝くじ当たるとか、昇進するとか、
恋がうまくいくとか。

 

でも、勢古さんはもっと
地味なところに光を当てる。

朝の光、おいしいコーヒー、
誰かの「ありがとう」。

正直、そんな小さなことで
幸せになれるなら苦労しない。

 

でも、よく考えたら、
人生の大部分は“普通の日”でできている。

ドラマチックな瞬間なんて年に数回。

ならば、その“普通”を楽しめたら、
人生はほとんど幸せってことになる。

 

つまり、「今日はなにも起きなかったなぁ」
と思える日は、実は“最高に平和な日”。

刺激的な人生より、
安心して笑える一日を
積み重ねるほうが、ずっと贅沢だ。

今回のまとめ

「ただ生きる」というのは、
何もしないことではない。

むしろ、“いろんなことを抱えながら、
それでも生きてる自分”を認めることだ。

頑張れない日があっても、
誰かに勝てなくても、
なにも達成していなくても。

「まぁ、今日もちゃんと息してるな」と
笑えたら、それでいい。

 

あとがき:「ただ生きる」と言われてもピンと来なかったけれど、読み終えてみると、少し心が軽くなった。この社会では、なにかを「する」ことばかりが評価されがちだ。でも、勢古さんは「しない勇気」や「立ち止まる余裕」にこそ、人間らしさがあると教えてくれる。もしかすると、私たちは“生きる”ことを難しくしすぎているのかもしれない。明日もきっと、何かがうまくいかないだろう。でもそのとき、「まぁ、そんな日もあるさ」と笑える自分でいようと思う。そうやって“ただ生きる”ことが、意外といちばん強い生き方なのかもしれない。

 

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いかがでしたでしょうか?

最後まで読んでくださりありがとうございます。

少しでもヒントになればうれしく思います。