「なあ、〈わたし〉ってどこにあると思う?」と友人に聞かれたら、思わず「そりゃ胸のあたりやろ」と答えてしまいそうです。でも、マイケル・S・ガザニガの『〈わたし〉はどこにあるのか』を読んだら、「あ、すんません、ぜんぜん違いました」とツッコミたくなるはず。実は「わたし」って脳が勝手にでっち上げてる物語なんですって。え? 物語? 主人公オレ? なんか恥ずかしいやん。そんなボケとツッコミが飛び交うような視点で、脳科学の教えをエッセイ風にご紹介します。

自己は「脳の物語担当者」が作っている

「わたしはこう思った」って
自信満々に言うけど・・・。

実は脳の左半球にある「解釈者」が
勝手にストーリーを作ってるらしいんです。

 

つまり、「オレが決めた!」と思ってても、
脳が裏で脚本書いてただけ。

これって、舞台の上でアドリブしたつもりが、
実は全部演出家の指示通りだった、みたいな話。

 

俳優やなくて演出家がおったんかい!
とツッコミたくなります。

自由意志は「社会のルールを守るための仕掛け」

脳科学の実験では、「人が何かを決めるより前に、
脳はもう準備している」ことが分かってきています。

つまり「自由意志」って幻想に近いと。

でもガザニガ氏は「だからといって
自由意志を捨ててしまったら、
社会は成り立たない」と言います。

 

自由意志とは?「自分の意志で、
自分の行動を決めている」という考え方のことです。

たとえば、

「今日はコーヒーを飲もう」☕
「ダイエットのために運動しよう」🏃
「”うどん”ではなくて”おそば”にしよう」😊

こういう行動を、「自分が自由に選んだ」
と思えることが自由意志です。

 

人は「自分で決めて行動した」と思うからこそ、
責任を持ったり、ルールを守ったりできる。

これは社会で暮らすために
欠かせないフィクションなんです。

例えるなら、漫才でボケがどれだけ天然でも、
ツッコミが「それは違うやろ!」と言って
初めて笑いが生まれるようなもの。

 

個人の中では自由意志は幻でも、
社会の中では「ツッコミ役」として
ちゃんと働いているんです。

「わたし」は操り人形? いや、物語の主役やで

「わたしって脳に操られてるだけやん」と
落ち込みそうになるけ。

でも、ガザニガ氏は、
「いや、それでええんや」と励ましてくれる。

 

脳が勝手に物語を紡ぐからこそ、
人生に意味が生まれる。

もし全部が事実の羅列だけやったら、
「オチのない漫才」になってまう。

大事なのは、解釈者が用意するオチに
「よっしゃ、それでいこう」と乗っかること。

 

つまり「操られてる」のではなく、
「主人公として舞台に立ってる」んや。

今回のまとめ

要するに、「わたし」ってのは
脳の解釈者がこしらえた物語。

社会の中では「責任」とか「自由意志」
という形でちゃんと機能してる。

脳科学は「お前の決断、
実は後付けやで」とボケてくるけど、
それを理解したうえで生きれば
「なるほど、それが人間やな」とツッコめる。

 

あとがき:「わたし」は固定された何かじゃなく、漫才のネタみたいに毎日更新されてるってこと。脳がボケて、社会がツッコんで、その間にオレらは笑ったり泣いたりしてる。もし今日、「自分って何者やろ」と迷ったら、「ああ、脳が新しいネタ書き始めたんやな」と思えばちょっと気が楽になる。そう考えたら、人生って案外、舞台袖で次の出番を待ってる芸人みたいなもんかもしれません。

 

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いかがでしたでしょうか?

最後まで読んでくださりありがとうございます。

少しでもヒントになればうれしく思います。