「自分とは何か?」――そんな哲学的な問いに、いまさらなんて思ったりする。でも、日々の忙しさに追われ、「自分らしさ」や「自己実現」といった言葉だけが独り歩きする中で、本当の“自分”について考える余裕は、どこか置き去りにされてしまった。鎌田東二著『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、そんな現代人に向けた、痛快でやさしい東洋哲学の入門書。タイトルだけで驚いて本を手に取る人も多いだろうが、読み進めるうちに、驚きは深い納得へと変わっていく。そんな感想を交えながら、本書で得た要約をエッセイ風にまとめてみました。(イラスト:Image by freepik

自分とは、自分らしさとは!?

-自分らしさ

この本のなかで鎌田さんは、
「自分というのは、じつは“はっきりとしたもの”ではない」と話している。

それは、ちょっと不思議なことば。

でも、よく考えてみると、
たしかに私はいつも同じ“自分”ではない。

友だちと話しているとき、
家族といるとき、
職場にいるとき――

それぞれ少しずつ違っていて、
でもどれも「私」であることに変わりはない。

 

“自分らしさ”って、
実はずっと決まったかたちがあるわけじゃない。

いろんな場面や人との関わりのなかで、
変わったり、ゆれたりしているものなのかもしれない。

「自分とか、ないから。」という言葉は、
最初はびっくりするけど、じつはとてもやさしい言葉だったんだなと思う。

人もモノも、すべては“ご縁”でできている

-「すべては“縁”によって成り立っている」と書かれていた。

仏教の考え方、
「縁起(えんぎ)」という言葉も出てきくる。

私たちは一人で生きているように思えて、
実はまわりとの関係で成り立っている。

呼吸(生きている)も食べられるのも、
誰かがいてくれるから。

そう考えると、「じぶん」というのは、
“つながり”の中で生まれているものなんだなと教えてくれる。

すると、自然に”感謝”が生じてくる。

 

もうひとつ心に残ったのは、
「場(ば)」の話。

自分のまわりの環境や空気感が変わると、
人の気持ちも不思議と変わってくる。

たとえば、部屋を少し片づけただけでも、
気分がスッキリするように。

自分を変えようと無理するより、
「場をととのえること」から始めてみよう。

なるほど、そんな気持ちになれた。

死ぬことを、こわがらなくてもいいのかもしれない

-人は死んだら、どこに行く!?

昔は、そんなことを考えるのがこわかった。

でも、鎌田さんの本を読んでいると、
死というものが少しちがって見えてくる。

東洋哲学では、死は「終わり」ではなく、
「自然の流れの一部」だと考えるそうだ。

春がきて、花が咲いて、
やがて散っていくように。

 

命もまた、自然のめぐりの中にある。

そう思うと、こわいだけじゃなく、
どこかあたたかい気持ちになる。

「死を忘れないことで、生きることがより大事に感じられる」――

この言葉が、とても心に残った。

いつか終わるからこそ、
今このときが大切なんだって素直に思えた。

今回のまとめ

-鎌田さんの本はちがった。

自分とか、ないから。教養としての東洋哲学

「教養としての東洋哲学」という言葉は、
最初はちょっと堅苦しく感じたけれど、
読み進めるうちに考えが変わった。

教養って、知識を増やすことじゃなくて、
世界や人に対しての見かたを深くすることなんだなと気づいた。

たとえば、道ですれ違う人にも、
「ご縁」があるかもしれないと思うこと。

仕事や家事に追われていても、
「今、ここにいること」がじゅうぶん尊いと思えること。

そんなふうに小さな視点の変化が、
心をふっと軽くしてくれる。

これから先、また迷う日があっても、
「まあ、じぶんとか、ないしね」って、
笑いながら言ってみたい。

 

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いかがでしたでしょうか?

最後まで読んでくださりありがとうございます。

少しでもヒントになればうれしく思います。